【個人用】4/16(月)を振り返る【15日目】
【個人用】を振り返る【日目】
【課題】
【やったこと】=========
【メモ】========
電車に、乗り遅れるかと、思った……
いぇーすっ!
とうとうオケアノスのきりたん、二つめスキルマった!
でもこっからさらに釘60本とか果てしねえ…
ふぁー!?
そういや、昨日の振り返りで、ダイヤ様について言及するの忘れてた。超テンションとか口ずさんでる場合じゃなかった。
んー、これは別のエントリで書いた方がいいかな…?
はぁ…マジぶるーまんでー
略してぶるまん。決して、ごちうさのあの方では、無い。
つか青山ブルーマウンテンって今更ながらすげえ名前だよなあ。そういう店ならありそうだけど、人名って言われてもクエスチョンマークが飛び交うだけだろ。それをペンネームにしちゃう翠さんマジぱねえ。
https://anibu.jp/20161203-aoyamabm-40877.html
ブルシャロについて熱く語っていて草。美味しいお酒が飲めそうですね!
◇ ◇ ◇
さすがに四時間程度はきつかった。起きて間もない時は、死にたくなるくらい。意味もなく世界を呪ってみたり。
とまれ、昨日寝すぎなかったおかげか、月曜にしては珍しく眠ることが出来た。
こうして書いている今は睡眠不足感に悩まされてないし、意外と好調。
【やったこと】=========
・FGO第二部一章(十五節)
・『自分のアタマで考えよう』(はじめに)
→ちきりんさんが、入社当初は考え方がわからなかった、ということに驚いた。先天的に持ち合わせていたものじゃなくて、後天的に身につけたものだったのか…まあ事実かどうかまでは分からないけども…
・『社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう!』(一章)
→目次を見るだけで頭の良さが分かる。
無数にエピソードを取り揃えることも凄いんだけど、構成がきっちりしてるのはやはり良い…(陶然)
こういうのは、好きなところから拾い読みする方が良いのは分かってるけども、やっぱり旧来の頭から読んでく形式から抜け出せない。七章の古代遺跡の旅を愉しみに、ひとつひとつ読んで行こっと。
第一章の扉。
お金をテーマにした章を真っ先に持ってきたのは、身近だからなのかなーと思ったけど、お金には「その国の歴史や文化、時々の政治や経済情勢を色濃く反映して」いる、という指摘に脱帽した。洞察力ぱないな。そりゃあ「よくそんなことに気がつくね!?」と友人家族にもあきれられるよ。きっと、驚きすぎて、またか…となるんだろうね。あきれられるくらいの観察力と洞察力って凄まじいな!
エピソード1
一ページ目から固有名詞いっぱいで目を背けたくなる。
売るモノがないから、苦し紛れに外貨を強制的に使い道のない現地通貨に両替させていたビルマ。
怒り半分呆れ半分で何か買えないかと市場を物色していたちきりんさんだったが、あまりに安すぎて、何を買おうとお金が減らない!というエピソードは、くつくつとなんとも言えない笑いがこみあげてきました。
こっからここまで!と大人買いしても運搬するのが大変なだけという。お金があれば何でも出来る、なんて言うけど、それはやはり環境次第だよなあ。エピソード2兌換券。
飛んで、エピソード7はとうとう日本のお札で、伊藤博文がお札から消えたワケ。
章の最後に持ってきたのは、これまでの六つの事例で、外貨による常識クラッシュを経験させておいて、身近だからこそ、気づきにくい枠組を提示し、それを揺さぶることで強烈な、知的興奮を体験させよう、という意図があるのかな、と思っていた。
でもそんな生易しいものじゃなかった。
1984年に紙幣デザインの全面改定が行われた。公式には「偽造防止」だけど、「韓国併合を行った伊藤博文の紙幣をいつまでも残しておくと、摩擦が生じるかもしれないから」と洞察力をかます。
些細な違和感から、その社会背景に目を向けていて凄い。ここでも帽子が脱げた。もう、帽子はスタンドに引っ掛けておいた方がいいんじゃないかな。いい加減禿げちゃうよ。
社会派ブロガーおそるべし…!
・『歴史とは何か』
Ⅰ 歴史家と事実
ジョージ・クラーク教授*2は第二次『ケンブリッジ近代史』の序論で、やがて「完全な歴史」を作ることが出来ると、六十年前に述べたイギリスの歴史家アクトンおよびその協力者を批判。
その後の歴史家は、不完全な歴史しか作れないことを理解しており、むしろその仕事が幾度となく乗り越えられることを期待している。
過去に関する知識は一人あるいは何人かの精神を通じて伝えられて来ているものであること、これらの精神によって『加工』されたものであること、したがって、絶対不変の元素的な非人間的なアトムから成り立ち得るものではないこと、これをよく考えている。
が、批判先はそれだけにとどまらず、懐疑主義に逃げ込んだり、すべて歴史的判断も甲乙がなく、『客観的』な歴史的真理というものはない、という学説に逃げ込む短気な学者たちをも射程に含んでいる。
二人を引用し終えて、カーは言う。
こういう研究は歴史の本質ということよりだいぶ広汎な問題へ迷い込んでしまう。
二人の食い違いは、それらの発言に横たわる期間における私たちの全体的な社会観の変遷を反映している、と。
アクトンは、ヴィクトリア時代後期の積極的な信念と冷静な自信とを正直に語っているのに対して、クラークの方は、ビート・ジェネレーションの当惑と取り乱した懐疑主義とを伝えている。
「歴史とは何か」という問題に答えようとするとき、私たちの答えは、私たちが自分の生活している社会をどう見るかという更に広汎な問題に対する私たちの答えの一部分を形作っている。
十九世紀は事実調査の時代
→『1984』読みたくなってきた
『辛い世の中』の主人公グラドグラインド、かく語りき。
「私が欲しいのは事実です。……人生で必要なのは事実だけです」
十九世紀の歴史家たちは概して彼と同じ意見だったらしい。さっすがディケンズ、社会的だ。
約一世紀の間、ドイツ、イギリス、フランスの歴史家たちは「本当の事実」という魔法の言葉を呪文のように唱えていたそうな。
科学的な実証主義者「先ず、事実を確かめよ、然る後に、事実から汝の結論を引き出すべし」
イギリスでは、こういう歴史観は、ロックからバードランド・ラッセルに至るイギリス哲学の支配的潮流である経験論の伝統と完全に調和した。経験主義の知識論では主観と客観との完全な分離を前提とするからだ。感覚的印象と同様に、事実は外部から観察者にぶつかって来るもので、観察者の意識から独立なものだという。
歴史家にとっては、事実は文書や碑文などのうちで手に入れることが出来る。
自由主義的ジャーナリストCPスコット「事実は神聖であり、意見は勝手である」
歴史的事実とは何か
著者は、過去に関する我々の知識の本質について哲学的な議論をする気はないよう。
ただ、仮に、①シーザーがルビコン河を渡ったという事実と、部屋の真ん中にテーブルがあるという事実とが同じ種類の、あるいは、似たような種類の事実であるとする。
②さらに、こらら二つの事実が同じ仕方、あるいは、似たような仕方で私たちの意識に入って来るとする。
③加えて、これら二つの事実が、これを知る人間との関係において同じ客観的性格を持っていると仮定する
このように仮定してみても、過去に関するすべての事実が歴史的事実であるわけではないし、歴史家によって歴史的事実として取り扱われているわけでもないという困難に陥ってしまう。
歴史上の事実を過去に関する他の事実から区別する規準は何なのだろうか。
→記述されない事実に関すること?それとも、明文化された歴史の裏付けに関すること?後者は、その妥当性を保証する問題と言える。
ハウスマン「正確は義務であって、美徳ではない」
正確であるといって歴史家を賞讃するのは、よく乾燥した木材を工事に用いたとか、うまく交ぜたコンクリートを用いたとかいって建築家を賞讃するようなもの。
こういう必要条件については、歴史の「補助科学」と言われてきた、考古学、金石文学、古銭学、年代学などを頼りにすることができる。
歴史家というのは、専門家が陶器や大理石の破片の系統および年代を決定したり、意味不明の碑文を解読したり、正確な日附を定めるのに必要な精密な天文学的計算を行なったりすることが出来る、そういう特殊技能を必要とするものではない。
興論を動かす最も効果的な方法は、都合のよい事実を選択し配列すること
事実はみずから語る、というのは嘘で、事実というのは、歴史家が事実に呼びかけた時にだけ語るものだ。
いかなる事実に、また、いかなる順序、いかなる文脈で発言を許すかを決めるのは歴史家なのだ。実際、シーザーがルビコン河を渡ろうが、こうして文字を書いていようが、同じ事実ではあるが、後者は歴史として記述されない。歴史家は必然的に選択的なもの。歴史家の解釈から独立に客観的に存在する歴史的事実という堅い芯を信じるのは、前後顚倒の誤謬である
→たとえば鳥が見ている紫外線の色は、多くのヒトは視ることができない。だとすれば、人間の認識できない現象というのはどうしたって記述できないことになる。素粒子も認識できない、と言えるが、それを観測する装置まで含めた広義の意味での認識、であれば、人の認識の限界というのはやはり存在することになる。あるいは、人類が造り得る最速の記述装置、というのを考慮してみても、ゼノンのパラドクスではないが、記述と記述の間にある時間、という有限と無限の問題にも絡んでくる。すなわち、どうあがいても記述しえない事実というのは存在する以上、それは恣意的に選択された歴史だということになる。
史料集が、かつては誰かが知っていたに相違ない無数の事実全体のうちから生き残って、これこそ歴史上の事実ということになったのは、いかなる偶然によるのか、いかなる摩滅過程によるのか
古代および中世を研究したビュリ曰く「古代史および中世史の記録には脱漏が散在している」
しかしそれはさほど重要じゃない。
紀元前五世紀のギリシアがアテナイ市民にとってどう見えていたかは分かるが、スパルタ人にとって、コリント人にとって、テーベ人にとって、どう見えていたかということになると、私たちは殆んど何も知らない。
バラクルー教授「われわれが読んでいる歴史は、確かに事実に基づいてはいるけれども、厳密に言うと、決して事実ではなく、むしろ、広く認められている幾つかの判断である」
不必要な事実を蒐集すること
信仰
文書が語るもの
グスタフ・シュトレーゼマンが遺した大量の書類を秘書のベルンハルトは『シュトレーゼマンの遺産』として編纂した
当時、西方政策がいくつか見事な成功をおさめており、これがシュトレーゼマンの外交政策のうちで重要だと思われていた。一方、ソ連との関係はなんの成果もなく終わったと思われていたが、実際はシュトレーゼマンはソ連との関係に絶えず熱心な注意を払い、また、この関係が彼の外交政策全体の中で大きな役割を果たしていた。
→なしえたことの偉大さを知ることは容易だが、未然に防いだことの偉大さを知ることは困難
サットンの縮訳版。
シュトレーゼマンの会談の事例。
彼の議論がいつも適切で説得力があるのに反して、相手の議論が概ね貧弱で、混乱し、説得力に乏しいことを明らかにしている。これは、外交上の会談に関する一切の記録を通じてよく見られる特徴。
これらの文書は、何が起こったかを私たちに語っているのではなく、ただ、シュトレーゼマンが起ったと考えていたこと、彼が他人に起ったと考えてもらいたかったこと、恐らくは、起ったと彼が考えたかったことを語っているにすぎない。選択の作用を開始したのは、サットンでもなく、ベルンハルトでもなく、シュトレーゼマンその人だったのだ。
歴史哲学という言葉を発明したのはヴォルテール
【メモ】========
そういや、シャイニングぜんぜん読んでねえな
ああ、そういえば、星々最新話で、キィ先輩のルビがちゃんと直ってた。流石や
*2:Boys, be ambitiousはウィリアム・スミス・クラーク