コンフー積もうよ - Cause breakthrough! -

もはや質にも量にも意味はない。

このブログの方針――ほぼ個人的なメモ書き。僕がよりよくインプットするための、アウトプットの場です。②

*1

 

 

 

pnakot.hateblo.jp

 

 

――続き。

と行きたいところだけど、エントリをばらして、別個の文章として改めて読むと、なんだか印象が違う。

〝【きっかけ】〟について書く前に、前説的なことを書いてみたい。*2

 

というか、ただの垂れ流し。

 

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まあ、どうぞこれでもおひとつ。*3

 

 

で。

さっき、ちょっとしたこづかい稼ぎで、肉体労働してきました。

一時間も動いたわけじゃなかったんですけど、いやー疲れましたw

箸より重いものを持ったことなーい、的な、あざと言葉ってあるじゃないですか。

もちろん僕は箸より重いものは持ちますけど、十秒も持ってることが難しいものを持った記憶って、思い出せる範囲にはちょっと見当たらない…

肩ではぁはぁ息してました(苦笑)

 

 

さて、本題に移ります――

 

…………

……

 

【コンフーを積もうと思ったきっかけ二つ】

ジブリ

二か月ほど前です。下記の記事を読んで、日々の積み重ねがもたらす景色にロマンを感じたんですよね。僕の身体に流れる血が疼いて疼いて、頑張ろうって思えたんです。やってみようって、そう思えたんです。

実はこの「自分との比較」というのは、
子どもの頃から
非常に大事なことなのではないか、
と思っています。

他人と比較をすれば、
どの時点でも、上はキリがないですよね。
ところが、自分が一歩前進できたかどうか……
結局は、なにかをやるときには、
これが大事なんです。


これさえあれば、ほんとうは
生きていけるのではないかとさえ思うんです。
「向上した」という実感と言いますか。

前進と言っても、
ひとつずつはとても些細なことです。
もともと、行き詰まると言っても
ほんとうに次元の低い具体的なことなんですよ。

「今日までにやらなければならない絵コンテが、
 徹夜して朝になってもまだできていない。
 こんな状態で、仕事を続けていけるのだろうか?」

「もう、課長のところに行って、
 すいません、もうできませんので、
 と言うしかないなぁ」
 
「眠いなあ、もう寝ちゃうしかないか……。
 こういう仕事は、やっぱり
 才能のあるやつがやれば
 いいことではないだろうか?」

「才能のないやつが、こんな大変な気分に
 陥ってまでやるべき仕事なのかなぁ……」

悩みの次元も低いし、それぞれ、
非常に具体的なものなのだけども、
それだけに、そのときは
もうほんとうにつらい思いでいるんですね。

主に、「自分には力がない」ということで
苦しむわけですが、ところが、
なんとか切り抜けることができたら
「まぁ、なんとか、やっていけるかもなぁ」
と思うという、非常に
曖昧な立ち直りかたをするんですね。

一歩でも前進するというと
立派そうに聞こえるけれど、
その進み方も、非常に次元の低い、
いいかげんなものなんです。
だけど、そういう前進の実感こそが、
大事なことだった
んです。

ほぼ日刊イトイ新聞 - ジブリの仕事のやりかた。

 *4

人が一日に出来ることなんてたかが知れている。いわんや一日に出来る成長をや。

大事なのは二つ。地図とコンパスを手にすることと、一歩ずつでいいから確実に進むこと。

なりたい自分を思い描いて、ひとつひとつ血肉にしていく、ということ。比べるのは他人じゃない。昨日の自分だ。

半年後、振り返ってみよう。182歩分の進みはどうだろう?今日踏み出してみて、一年後の理想の自己像に、半分だけでも成長できているだろうか。頑張れただろうか。

182歩分の景色はどう? 失望した?

じゃ、もう一回!

 

 

 

②自分への失望と焦燥感

約一年前、僕、作家になるために頑張ろうって思ったんです。

でも、この一年、結局、全然アウトプットできてなくて、こりゃダメだって。

あの時は心の底からやる気に満ちていたのに、あの時の熱量がどこかへ行ってしまったんです。根拠のない自信がどこかへ行って、書きたい小説のイメージがまったく浮かばない。何も。がらんどうの自分に落胆して、今の生活をこのまま続けていくのかって考えたら、絶望的な心地がしました。

じゃあ、これからの一年は?

去年できなかったしわ寄せを、今年一年で賄えるとでも?

いや、無理だ。一日に出来ることが限られている以上、一年で出来る限界もまた存在する。だとすれば、今年一年はどうするつもり?

……。

 

結論。

 

 

 

諦めました(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

――近道することを。

 

今年一年はどぶに捨てるつもりで、遠回りします。

 

でも、それは絶対無意味じゃない。

 

それだけは確信している。

 

*5

*1:作業用BGM:さよならを教えて -comment te dire adieu-/MELL、馬馬馬越 / 馬越健太郎

*2:この前説、ホントに書くつもりなかったんだけど。

*3:この中毒性やべえなあ。

音質悪いのだけが残念だけど。。。

*4:ペトロニウスさんなら、<手ごたえ>と表現するものですね。

*5:うーん。書いている時の熱量がいったん冷めちゃうと、そこに至るまでのテンションを再構成するのって難しいなあ。これ、もっとタイトで、かつ、長文を書こうと思ったとき、絶対課題になると思う。

確か、田中ロミオが、『AURA』のあとがきで、この作品を書くときに裏技で、頭からではなく、クライマックスシーン(だったかな?)を前倒しで書いた、というようなことを書いていた気がするんだけど、、、

……。

これはひどい

書いてたものが途中から、ブラウザ落ちて全部消えた。

結論だけ書いてしまうと、A→B→Cという順序で書くべきところで、先にCを書いた場合。席を立ったり、日をまたいだり、それこそデータが消失したりしたとき、テンションがCを書いたときと大きく変わってしまう時がある。その時、いっそCを棄てて、C2を書いたほうが早い、ということ。

ああああ、なんかもうショックだなあ!(笑)