コンフー積もうよ - Cause breakthrough! -

もはや質にも量にも意味はない。

このブログの方針――ほぼ個人的なメモ書き。僕がよりよくインプットするための、アウトプットの場です。①

【このブログを書こうと思ったきっかけ】*1

憧れをベースに成長する時の姿勢〜他者の内的豊饒さに敏感になれれば・・・ - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

 

という記事を読んだからです。

かれこれ五年くらい物語三昧をエントリをその都度読んで、紹介されてた作品見てはまた読んで。ふと思い返しては読んで、ということをしてました。

そんで、僕もすっっっっっっっっっっごくペトロニウスさんに憧れてます!

その膨大な教養、忙しいにも関わらず貪欲に物語を<消化>*2しアウトプットしていること、マクロの分析力……はっきり言ってペトロニウスさんの凄まじい部分って挙げればキリがないです(笑)

 

が、僕が彼に惚れているのは、そういったスペックだけではないんですよね。

僕、初めてだったんですよ。〈大人〉として生きている――しかも実在しているーー人に憧れたのが。

中学生のころから、僕の周りには憧憬の対象となるような、メンターとしたいと心から望むような大人がいなかったことが不満だったんです。

もちろん、自分の天運(というよりは人運?)が悪いって部分があるかもしれません。でも、嘆いているだけでは生産性がないし、そもそも、本当はメンターたりうる人物はいつもすぐそばにいたのに、それに気づくだけの感受性が、洞察力が無いのでは?という可能性もあります。

それでも! 僕にとって、周囲の大人が〈大人〉でない、ということが、つらくて、寂しくて、しんどくて、苦しくて、悲しくて、惨めで……だから、他人に期待することを諦めてたんですよ。失望するくらいなら、いっそ最初から期待しない方がいいって。

けど、僕は物語三昧に、ペトロニウスさんに出会いました。

最初は、その圧倒的なアーカイブに打ちのめされ、浴び、潜り、溺れるように読み漁ってはグラスに残った最後の一滴を味わうように読む快楽に、「物語三昧」三昧になることが幸福でした。

いつからだったでしょうか。僕が、物語三昧というアーカイブではなく、ペトロニウスさん自身を好きになったのは。

詳しいきっかけは思いませんが、ただひとつはっきり言えることは、ペトロニウスさんってなんて――

 

かっこいいビジネスマンなんだ!

 

と僕が思えることです。なんて鮮烈な在り方なんだろうか、と。スペックじゃないんです、在り方に惚れたんです。

 

たとえば、以下のエントリでは、まちばりあかねさんによる『Fate/stay night』の脚本分析を引用しながら、ペトロニウスさんはなぜ、自分はこんなにも、遠坂凛というヒロインに惹かれるのだろう、と自己分析しています。

 

人が生きるということは?〜失われた第 4 のルート?のまちばりあかねさんに感涙 - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

 

僕は、凛ルートに非常に強い感銘をけて、死ぬほど凛に惚れこんじゃったにもかかわらず、自分がなぜ彼女の在り方にありかたこれほど、強い執着心が生まれるのかがよくわかりませんでした。僕の人生の中で、不動のベスト3に入りそうなほどの強い吸引力が彼女にはあるんです。

 

ということは、僕の人生の欠落もしくは動機において、関連付けられて何かの魅力があるとしか考えられません。

それはなんなのだろう?ということが、実は今まで不明でした。それについて、ほぼ完璧に言いつくしているので、このまちばりさんは、凄いよ。少々長いけれども一部抜粋してみます。(ちなみに、絶対すべて読んでみると、感動すること請け合いですよ)。

※引用内での太字は、管理人――*3

 

ペトロニウスさんによるまちばりあかねさんの引用を、さらにここで引用はしません。ただ、『Fate/stay night』を第三ルートまでクリアされている方でしたら、まちばりあかねさんの原文を是非とも読まれた方が良いと思いますよ。

Fate/stay night ネタバレゲームインプレッション

*4

 

ペトロニウスさんの書いた文章の続きを引用しましょう。

 

士郎、セイバー、エミヤは、「心の在り方」や「自分の誓い」という部分に強い誇りを感じているのですが、ようはこれって、幻想なわけです。しかし現実がひどければ酷いほど、心の純粋性の強さというのは、輝きを増します。これらの存在の美しさとは、「そこ」にあるわけです。

でも、凛は合理主義者なので、現実と折り合うことを目指すんです。

ただ、、、、「自らの理想・・・マクロの使命」と「ミクロの絶対に守りたいもの」は、往々にして両立しません。それは非常に不可能に近い困難さなんです。

僕の人生のライフテーマもこれです。

 ※引用内での太字は、管理人

 

そして、そのライフテーマの前提として、人間が生きる意義は二つあるとペトロニウスさんは言います。

 

1)人としてミクロの世界で愛すべきものを見つけ守ること

2)人類の一員としてマクロの使命と理想を知り、そのために自己捧げること

 

このミクロとマクロ、という軸はペトロニウスさんの最も深いところにある基準だと、僕は考えています。ミクロを愛する人はたくさんいる。崇高なマクロの使命を果たす人もいる。けれど、それだけではダメなんだ、とペトロニウスさんはいつだって口にしています。叫んでいます。フィリップ・マーロウ風に言うならば、「マクロ無くして生きていけない、ミクロを愛さなければ生きていく資格がない」 のだと。

 

マクロを否定するばかりで、目先のことしか考えない。これは視野が狭い。

ミクロを蔑ろにするのなら、それはあまりにも人間味がなさすぎる。

どちらか一方に極端に偏ったものを否定することは容易でしょう。

でも――

いま、この時代を生きていて、自分一人では出来ないような巨きな出来事に関わり、そのダイナミズムを体感することの熱さが、魂の震えが輝きが、マクロにはある。

あるいは、愛するひとと過ごす時間、あるいは過ごした時間の輝きは、鮮やかさは、たとえ世界など変えずとも、セカイまるごと変わったような美しさが、ミクロにはある。

そう、ミクロだけじゃない、マクロだけでもない。

その双方の良さを、素晴らしさを識っているからこそ、ペトロニウスさんはその両方を選ぶべく、第三の選択肢である、

 

3)ミクロとマクロのという矛盾したモノを、結びつけるという不可能を為すにあたって「自分を楽しむ」というコンセプトが生まれるんです。

 

を選ぼうとしているのです。

ただ傲慢だから、無知だから、両方選ぶ!と嘯いているわけではありません。

ペトロニウスさんはむしろ、その矛盾を、ジレンマを、バランスを取ることの不可能性を直視しつつ、『それでも、なお』と顔を上げているのですから。

 

そう、、、、困難なのはわかっている。

 

不可能なこともわかっている。

 

けれど、「それを行い続けること自体が美しく楽しく」、自分にとって誇りでありうる状態。

 

不可能なことにギリギリまで挑戦し続け、ミクロ(愛するものを愛し抜く)ことを喜び、時には愛するものを犠牲にしなければならないぎりぎりの選択肢の中で人類の一員としてのマクロの使命のために自己を投ずる。

 

これこそ、人間の美しい「生きる在り方」なんではないだろうか?

って僕は思います。

 

そして、それを体現しきっているからこそ、僕は凛を愛するんだと思う。

 

そして、僕が自分の人生に課している一つの哲学として

 

自分を楽しもう

 

というものがある。シゴトしている時に特にこれが堅著に現れる。シゴトの意思決定は、それで人の人生が変わってしまうような人事やリストラなどの判断をたくさん迫られます。けれど、甘えたことを許すことはできない。マクロ管理するものとして、指揮官として、全体が負けるような、全体が壊れるようなことは許されないからです。

 

そこには、ミクロの情は入る余地がない。

 

けれども、それでも人間は何の為にマクロのためにがんばるかといえば、自分の人生のよろきびや自分の好きな人や友人や、自分の大切なものを守るためでしょう?。

 

ミクロを愛することができない人には、部下がついてきません。

 

その時に、意思決定者は、深く悩むのです。

 

いったい、どうすればいいのだ?

 

これはすさまじい激務で二択です。

 

しかし、こういうバランスを調整し続けることを楽しんで生きていくことこそ、そういうことに耐え続ける自分の在り方を誇りを持って生きることこそ、それが一番かっこいいことなんではないか?って僕は思います。

 

そして、そういう人生を豊かに楽しんでいる人は、たくさんいる。

 

それこそが、ライフ・オブ・マスター(人生の達人)というやつだと僕は思う。

 ※原文ママ

 

ペトロニウスさんのマクロ分析――おそらく社会学がベースなんじゃないかなあと僕は思っているけれど――の鋭さは、物語三昧の読者ならば周知の事実でしょう。

 

たとえば、こんなエピソードがあったそうです。

 

2015-16年の大統領選挙の頃アメリカにいた時に様々な人と話していて、また自分自身の分析からも、ほぼトランプさんが大統領になるのじゃないか?ということを、かなり最初から感じているんですよね。そして、それを周りの人にしゃべっている。というか半ばトランプさんが大統領になるのを確信していて、かなりそれを周りに話していたようです。どうして「ようです」などという他人ごとなのかというと、トランプさんが大統領に選ばれた翌日、「君の分析通りに、トランプが選ばれたよ、凄いな!」と何人にも言われ、メールを受け取って、あれ???と思ったんですよね。ロフトプラスワンで話した時も、日本ではまさかとランプはならないだろうという論調というか空気があるが、違うんですよ、と力説して話していましたもんね、確かに。

ドナルド・トランプとは何者なのか? - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

 

 

おそらくですが、ペトロニウスさんほどの人であれば、そのビジネス関係での知り合いも相当優秀なはずで、そういった方々から評価される、というのはペトロニウスさんの分析力がいかに卓抜しているか、その証左と言えるでしょう。

それでいて、家庭をすごく大切にされている方なんですよね。

 

いやー妻が風邪ひいて、水泳教室のお迎えとかドリルとか、ご飯とか買い物とか、ぜーーーんぶやると、、、へとへとになりますね、、、。なんだかんだ言って僕は仕事バリバリ系のサラリーマンにしては、手伝っているほうだと思うけど(奥さんはかなり不満なのはどこも一緒だと思うけど)、、、でも、ほんと、そうすると、プライヴェートがゼロになって、しんどいっす。かといって、これだけへとへとだと、睡眠時間削るのもしんどいしねー。たしかに、義務になって継続して、かなりの時間を子育てにさいていると、子供はすごくなつくし、子供の性格や物覚えの進度や様々な違いなのどがよくわかってくるので、確かに、素晴らしく楽しく幸せではあるが、、、自分の時間が削られるしんどさは、だれしもみな同じ苦しさがあるもんなんだよなー。特に、仕事のための勉強とかそういうものがやっぱりどうしても、少し弱くなってしまう。

スマイルプリキュアいいですねー。 - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

 

ダンスって、、、おもしろいんですねぇ、、、。人生でまともにやったことなかったけど、というか、テレビの画面だけでコピーするのは結構大変だけど、少しづつ覚えていくのは、すごい楽しい。プリキュアのエンディングモードってこういう仕組みになっているんですねー。先日プリキュアショーで音楽が鳴ったら、周りの子供が踊りだして、おーこれって踊るものなのかぁ!(それまであまりそういう発想がなかった)と感心して、娘とコツコツ覚えています。世界って、楽しいところですねぇ、、、。いろいろあります。

娘と踊りを毎日練習してます! - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

 

この映画は、、、、楽しかったーーー。。。特にラストの全員でステージで、スマイルプリキュアのEDテーマを踊るシーンは、圧巻のクオリティで、娘と踊りたいね!って映画館で、話してしまいました(笑)。あれは、映画館で見ないと、凄さがわからん!と思いました。風邪気味でしたが、娘のわがままを聞いて、いってよかったーーーー!!!。

 

しかも中身も大満足。理由は簡単で、ストーリーがあるってことと、あゆみちゃんというプリキュアにあこがれる中学生の女の子の成長物語が軸になって、実際にメインで出るのはスイートプリキュアの4人とスマイルプリキュアのメンバーだけで、全部覚えていませんが、強い印象に残っているのは、みゆきちゃん(ハッピー)と響のやりとりで、、、僕は、ハートキャッチ、スィート、スマイルの3作品しか見ていないので、「知っていることだけにフォーカスされていた」ってのも、大きいでしょう(笑)、、、ようは、とっても自分にとってわかりやすかった!!!ンですね(笑)。実際、映画館だからなのか、子供もすごい食いついていたので、もう個人的に大満足でしたー。奥さんは見に行かなかったんですが(全会がつまらなくて行きたくないといわれた(笑))僕が、おもしろかったを連発するもんだから、私も行けばよかったーと、嘆いていました。

プリキュアオールスターズ映画見てきました - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

 

ああーーーーいまの自分の立場を見て、胸がぐっと苦しくなった。

 

いや、僕は、奥さんもいるし、親も近くにん住んでいるし、といろいろ何とか運よくまわっているけど、うちは共働き(どっちもバリバリの総合職)なんで、ふとしたはずみで、どっちかが仕事をやめなければいけないというプレッシャーは、凄く感じる。世の中、甘くないもの。まーうちの場合は、さすがに妻が辞めるのだろうけれども、、、、でも、それでいいのか?って、少なくとも僕は悩んでしまうし、、、、彼女のキャリアを奪う権利があるのか、とも思ってしまうし、、、でも、一度しかない子ども時代にさびしい思いをさせるのか?とか、もういろいろグチャグチャ。まー僕は、僕自身が共稼ぎの家で育った人なので、子供への愛情は、時間じゃない!と確信している人なので、まだそのへんは、倫理的にはうちの家の倫理の基準は甘い方なので、気は楽だ。とはいえ、、、

 

子育てと仕事の両立ってのは、物凄く綱渡りな状況なのだ。少なくとも、助けてくれるモノは、この世に何もないのは、凄く実感する。物凄く幸運で手伝ってくれていても、親だって下手すれば、すぐ死んでしまったりボケたり病気になったり、何が起きるかわからない。この「いつなのかが起きるかわからない」というプレッシャーは、経験している人でなければ分からないだろう。僕ら夫婦は、稼ぎもそれなりだし、親だって健在だから、「いまのところ」何もかも回っているように、外側から見えるが、、、そのために、保育園の確保(ほとんどまともに入れないし、私立はバカだかい!)とか、仕事のやりくりとか、、、、信じがたいほどの、努力をしている。毎日日常でテンション保ち続けるのって、物凄いしんどいんだよ?。まじで。・・・・そんなの子供の笑顔が見れる幸せだから、愚痴とか言うなっ!って外側から言うのは簡単だろうけど、その労苦とプレッシャーたるや、凄まじいものがあるんだ。ワークライフバランスとか、鼻で笑ってしまうぜ。この厳しい競争社会で、そんなきれいごとで席が確保できるほど、世の中甘くないぜ。とか、少なくとも、「すみません定時でかえります」なんてやつが、リーダーにはなれないもの。。。。つーか、やだよね、そんなの。仕事人としては。でも、これが家庭のこととなると、もう逃げ道ないんだもの、、、、。

『エビスさんとホテイさん』 きづきあきら+サトウナンキ著 - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

 

お子さんを大切にされているのがすごくよくわかりますし、奥さんのことも、その人生をまっとうさせてあげたいと考えているのが表れているように思います。切実なことばかりでなくて、

 

僕ってのは、こういうHなマンガが好きだよなーと思う(笑)。恋人がいても、結婚しても、かわらず好き。『あいこら』のハチベエくんは、「フェチは別腹!」と豪語していたが、僕も別腹だと思う(笑)。妻は、「キミは、こーいうの大好きだねぇ」と、いつも笑っています。そりゃー本棚に多いもん。僕は好きなものは共有してもらいたいので、いろいろ読んでもらうのですが、女の子趣味があなたとはあわない、と最近は読んでくれなくなりました。でも、よく妻の寝床の横には、咲香里さんの『少女の季節』がなぜか本棚に戻しても毎回戻ってくるのを僕は知っている(笑)。

『花咲け!おとめ塾』 陸乃家鴨著 主人公がかわいいっ! | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

 

二人称が「キミ」って言うあたり、奥さん、知的なクールビューティって感じします。

で、引用中にもあるみたいに、こっそり楽しんでいるあたり、そのお茶目な感じが実に可愛らしい(笑)

読んでいたら妻が、

 

「また変態なの読んでるの?」

 

と、身も蓋もないコメントかけてくれました。きっと、たかすぃ家ではそんなひどいことはないでしょうが、

、、、。

『ぱんつ解体新書』 たかすぃさんの、その思い込みの強さが僕らを勇気づける | 旧館:物語三昧~できればより深く物語を楽しむために

ジト目で言われてショックを受けてるのが、なんかもうね、いいですよねえ!

生まれ変われるならペトロニウスさんの子供として生まれたい!、、、いや、気持ち悪くてすいません(苦笑)

 

とはいえ、物語三昧でこういうプライベートなことが書かれているのを読んでいる時、本当、ペトロニウスさんは家族を愛しているんだなってびしばし伝わってくるんですよね。胸が温かくなります。

単に愛している、って口で言うだけなら簡単ですけど、本当に愛して、それが伝わるようにするのってすごく難しいことだと思うんですよ。

 

人生の法則 「欲求の4タイプ」で分かるあなたと他人 電子版

 

たとえばこの本なんかで、人を四つのタイプに分けているのですけども、これの画期的な点は、自分だけじゃなくて、他者との関係性について踏み込んでいるところです。

別のタイプ、、、とりわけ、正反対のタイプとは、人生の価値基準となるものがあまりに違いすぎて、あたかも宇宙人であるかのように理解できない、というようなことが書かれています。たとえ、家族であっても。いや、家族だからこそ、「理解している」と思い込んで、それゆえすれ違ってしまうということが。

これ、すごく重要な指摘だと思うんですよね。

親しさからついつい相手に甘えてしまって、相手に負担をかけすぎて、関係性にひびをいれてしまうこと…あると思うんです。

 

デモナータ〈2幕〉悪魔の盗人 (小学館ファンタジー文庫)

この作品では、主人公がデモナータと呼ばれる悪魔の棲まう異界に行くんですけども、それで現実世界では行方不明扱いになるんですね。それで、現実世界に帰ってきてみると、すごく時間が経過していて――両親が息子の喪失から回復して新たな生活を送れるほどには――、両親に困惑されつつも、一応は家族に迎え入れられます。しかし、失った関係性はもう、戻らない。主人公無しで回り始めていた両親のセカイにおいて、主人公という古い歯車は不要であるばかりか邪魔ですらある。主人公は発見します。枕の下に、自分の姿が写っていたはずの写真が、無惨なものになり果てているのを――

 

これ、僕が中学生くらいの時に読んだんですけど、今でもトラウマです。。。

家族であっても他人は他人。かつて優しかったとしても、自分に非がなかったとしても、血のつながりは、絆は、断たれてしまえばこれほどまでに残酷な仕打ちに出来るものなのだと知って、当時愕然としました。しかも、この場面の怖ろしいところは、枕の下に写真があることなんですよ。隠している、というのが怖ろしい。表向きには優しくしようと思っている。そう、頭では。でも、感情的には受け入れられない。その頭と心の分裂具合が、より一層、人間の恐ろしさがあると言いますか、、、

 

えっとですね、つまり言いたいのは要するに、家族であったとしても、その絆と呼ばれるものは思ったよりも強くないと僕は考えているんです。その儚さに気づかないまま、自分勝手な思い込みで、気持ちがすれ違って、修復するのが困難なまでに切れてしまうのってものすごくやるせないと思いませんか?

だって、ここには悪意なんてないんです。けれど、相手に甘え続けてしまったばっかりに、関係性が崩壊してしまうだなんてあんまりです。

だからこそ!

家族と言えども、自分は義務を果たしているから、と背を向けるのではなく、一人ひとりの人間としてきちんと向き合って、関係性を絶えずメンテナンスしていけるひとって、その幸せの価値を本当に知っていて、それを大切にしているんだなって思うんです。幸せな環境で生まれ、過ごすよりも、幸せの価値を知って、そのために努力できて、それを守りつづけられる人の方が、はるかに豊かな生を享受していると僕は思います。それが物語の中ではなく、画面越しではあるけども実在している――この事実にどれだけ救われたかわかりません。

こんなに素敵な人が実際に生きている。僕はまだ、世界に希望を持つことが出来る。ああ、世界はなんて素晴らしいのだろう。

 

 

 

だいぶ長くなりましたが、このブログを書くきっかけに話を戻します。

今まで僕はペトロニウスさんについて言及することを控えていたんですよね。相手を不快にさせやしないかな、ってびくついていたんで。

でも、

師匠に持つ憧れってそんなもの(片思い的)だよなぁと
僕自身はネット界では物語三昧というサイトのGaius_Petronius様が師匠と思ってはばからなくてやっぱりそう思うのにもいくつか理由はあるんですが、ぶっちゃけ相手のほうは全く眼中にもない(笑)
良くて「えっと、あの生意気言ってた、すぐに潰れるだろう学生?」ぐらいじゃないかな。
でもそれはむしろ当たり前なことだし、むしろそうじゃなくてもこっちは困るんですよ。
そもそもブログでの意思疎通の大前提である相互間利益って言う命題は完全に果たされていないわけですしね、そんな奴を相手するほど暇じゃないのが重要なんです。
俺の師匠はそんなに暇じゃねぇんだ!!みたいな、いやなんと自分勝手といわれればそれまでですけどね。でもそういう意味を込めても結構片思いって感情に近い気はします。
あ〜、はやくpetroniusさんにサプライズを提供したいor役に立ちたい!と四六時中考えているのであながち間違ってはいないはず(苦笑)

いや、個人的な片思いなんだけどさ - 文字の洪水に溺れながら

 *5というエントリに対して、

人間誉められて、悪い気がする人はいません(笑)。素直にありがとう。

憧れをベースに成長する時の姿勢〜他者の内的豊饒さに敏感になれれば・・・ - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

と返されているのを見て、思いました。

ああ、書いていいんだ……と。なら、いっそペトロニウスさん自身仰られているように、好き好きって言いまくろうって思ったのがこのブログ創設のきっかけです(笑)

ええ、言いますとも! ペトロニウスさんに「恥ずかしいからもうやめて!」って照れさせるくらいに!!!

なんかこう、いたずらしてるみたいで顔がにやけますね(笑)

 

では次。

 ――と行きたかったんですが、字数制限に引っかかったのか、表示が見切れたんで、ここで一旦区切ります。

【コンフーを積もうと思ったきっかけ二つ】につづく。*6

 

*1:作業用BGM:UUUK/Umakoshi Kentaro、メリッサ/ポルノグラフィティ、見えない世界/ポルノグラフィティさよならを教えて -comment te dire adieu-/MELL、いつか必ず死ぬことを忘れるな/UVERworld

*2:淡々とこなす、という意味ではなく、消費する、という言葉に対比させる意味合いで。ペトロニウスさんはまさに血肉にしている。食べ物を消化しているのと同じように。

*3:重箱の隅をつつくようで気が引けますが、この引用内でも誤字があります(笑)

透徹したリアリストでありながら、だれよりも深くロマンチストでありたい - 物語三昧〜できればより深く物語を楽しむために

の中で、

僕は、現実的に物事を達成できる理想主義者でありたい、といつも願っています。そのためにはだれよりも、リアリストでなければいけない。。。けど、リアルが基盤でなくロマンに基盤であるリアリストは、いつも「こける」んですよ(笑)。愛嬌というかなんというか、現実主義者なのに、好きになるのがどうしよーもないロマンチスト(士郎やセイバー)だったり、、、、変にロマンチストだから、重要なところで、失敗したりミスったり(笑)。まさに自分に思い当たる行動っぷりです。

 

だが、それがいい!って僕は思うんです。

 

(笑)。何でも一人でできるわけでもなし、こういう愛嬌は、最高だと思うんですよ(笑)。

と語っていますが、こんなところにもペトロニウスさんの愛嬌が滲み出ているわけですね。まあ、聞いた話ですと、凄まじいタイピング速度で書いているそうですし、多忙な合間を縫って積み重ねているその知の片鱗にアクセスできるのは物語三昧読者にとって幸福であり、多少の誤字など本質にとって些事にすぎません。そう、幸福に違いないのです。そうですね、市民?

そもそもペトロニウスさんにとって「わかる」ように書くことはコスパが悪いでしょうから、文章の推敲は最小限のはずです。むしろ、これが一筆書きなら怖ろしいです。この膨大な量の言葉が、とどまることなくひたすら駆動し続けて、それがひとつのストラクチャーになっているわけですからね。物語三昧の読者であれば、ペトロニウスさんが話が脱線した、というようなフレーズを比較的用いていることは知っているでしょうけれど、それでも、最終的に言いたいことに戻ってくるわけです。むしろ、前提を説明するための回り道として、ということもしばしばあるのではないでしょうか。この一見、放埓とも思える文章ですが、これは書籍では読めないであろうスタイルですよね。ブログだからこそ、タイトに、シャープに語らなくていい。その圧倒的な知にアクセスするには、ブログという環境はやはり書籍にも勝るとも劣らないと思います。リニアな知はどうしたって書籍の方がいいですが、有機的な、構造としての、まさしくハイパーリンクな知というものは、ブログという場が適しているからです。ハイパーリンクを用いることができる――そのブログという表現形式に適したスタイルで叙述しているペトロニウスさん、やっぱすげえ!

*4:ここまで情熱と忍耐で作品を明晰に語ろうと意志できる人はそうそういません。もちろん、明晰に語ることのできる思考能力、洞察力も凄まじいのですが、まちばりあかねさんの凄まじさは、何より意志だと僕は思います。

まちばりあかねさんは、その分析手法について、

気まぐれ雑記 2002年12月

の中で、このように語ります。

実はゲーム中に鍵となりそうなセリフが出てくると全部メモを取りながらゲームをプレイして」おり、AIRの場合は「まずA4横に3段組み、5ポイントぐらいの文字で全シナリオテキストを」200ページ以上に渡って印刷、「そして右手に黄色いマーカーペン、左手には付箋紙を握り締め、キーポイントとなりそうな文章をことごとく洗い出」す。「そこから前後関係的に矛盾しない解釈を仮説検証法でひたすら考える。仮説を立てては付箋紙のポイントと比較して矛盾の有無を確認し、仮説を修正してはまた確認、の繰り返し」である、と。

 

まちばりあかねさんは、「別に国語力があるわけでも読解力があるわけでもなく、ただ根性とパワーで解決しているだけの話なのです(笑))」と自虐気味に語っているけども、小説一冊だってこの方法は絶対しんどいのに、あろうことかあの超大作AIRで成し遂げているんです! 根性は根性でも、もはや別次元です。しかもこの手法が適応されたのは一作や二作じゃききません。もちろんその中にFateがあるわけで、プレイ後、あの怜悧な脚本評を読んでいたならば、ここで更なる衝撃を受けるでしょう。いったい自分は何をしていたのかと。なんと怠惰に文字を目でなぞりあげていただけに過ぎないのかと。評することは大変です。たった数行の感想をひねり出すだけでも。

インプットに甘んじ、〈消費〉するだけで、自分はあたかも、作品を見極めるほどの審美眼を得た気になっているだけの人ではけっして、到達することの出来ない山嶺(いただき)が、ここにはあります。忙しい、は言い訳です。だってあなた、インプットだけはしているじゃあありませんか。

ゆえに、僕はまちばりあかねさんの意志にこそ、卓越性があると、そう思うのです。

*5:「いや、個人的な片思いなんだけどさ」を読んで僕が思ったのは、この書き方はちょっとへりくだりすぎてやしないか?ということでした。確かにネットってセミパブリックな側面があって、誰も見てないよね、という意識が強くなりがちです。だからこそ、人の持つ薄汚い部分が可視化されやすい性質があります。でも、そのへりくだりってなんか意味あるんだろうか、と僕は思うんです。あ、別にsutatinさん個人に言ってるんじゃないです。Twitterとかで、たとえば声優さんのフォロワーさんなり、作家さんのフォロワーさんなりが、本人が見ていないと思って、妙に卑屈に言ってるのよく見かけるんですよ。

あるいは、職場に入ってきた新人さん――これは大学卒業したペーペーの新人だけじゃなくて、60近い人であっても同じようなことを言っている人が割といるので年齢は関係ないと思う――が、入ったばかりで迷惑をかけるかもしれませんが、という枕で自己紹介する人がいるんですよね。で、思うのが、そのエクスキューズの意味って???と僕は思います。だって、そんなのずっと働いてきている人たちからすれば、当たり前のことじゃないですか。それは、失敗しちゃうと思うけど許してね、という甘えに僕は思える。

 

で、妙に自己卑下する人に話を戻すと、本当に相手から相手にされたいのかなって。

声をかけられると、だいたい「まさか見てもらえただなんて!」というような反応を示すんですが、いや、それ狙ってたんでしょ?と。下心あったでしょ?と。(あ、ちなみに僕自身、ペトロニウスさんに声をかけてもらう下心めっちゃあります(笑)だって、そうじゃなかったらわざわざ公開しないで、誰にも見られないように日記でも書いてればいいって思いますもん。コミュニケーションを前提としているから、人は発信するんです。その下心と向き合わないのって、なんか、はたから見ててみっともないように僕は思える。ようは、他人から認められたいんでしょ、と。卑屈になっているのは、寂しがっている自分を認めるのが、あるいは他人に見られてダサ、って思われるのが嫌だから、という自己愛に僕は思えます。欲しいんだったら、棚ぼた待ってないで、アクション起こそうよ!っていう自分への戒め含め。ちなみにこれ、ペトロニウスさんなら<ナルシシズムの檻>と表現しているものですね。鶉まどか『岡田斗司夫の愛人になった彼女とならなかった私: サークルクラッシャー恋愛論』を読んでから、ハースニール『オタサーの姫に告られた結果wwwww』をプレイすると、自意識こじらせた人間の痛さがすごくよくわかります。で、そこから抜け出すには、①甘ったれたこと言ってられない原初的な環境に身を投じる②功夫を積んで自分自身を豊かにすることで、他人からの承認欲求への飢餓感を下げる、というようなことをペトロニウスさんは提示されていますね。で、このブログのタイトルからも察している人もいらっしゃるかと思うんですが、僕自身ナルシシズムに囚われてますwだから、功夫積もう、というのもあるんですが、よりよい生を享受するため、というよりは、僕の場合、作家として一生食ってくことが目標なんで、今までさぼり続けてきたアウトプットを習慣づけをする、という意図があります。今までは、デビュー後にブログ参照されんの嫌だしー、とか妙な言い訳つけて逃げてきましたけど、そんなんやめやめ。というか本当に余裕がなくなってきてます。現状を打破するには、ライフラインを構築することが先決。でも、ライフラインを構築しようにも筆は鈍るばかり。ならば、もう、自動書記できるほどに自分を晒して晒しまくって、心のブレーキぶっ壊して、アクセル全開で物語れるよう自己練磨に励むしかなかろうと。まあ、そんな感じです。

*6:ここまで読んで下さりありがとうございました!

「おまwwどんだけペトロニウスさんのこと大好きなんだよwww」と思っていただけたなら、超頑張った甲斐があったというものです。

とはいえ、重要なのは、僕は、ペトロニウスさんになりたいわけじゃないんですよね。

その在り方に憧れを抱いているし、その人生も――知っていることはわずかですが――素敵だなあって思いますが、僕はビジネスマンになりたいわけじゃない。

これはもう、生まれ持った資質としか言いようがないです。割と女の子の趣味が違うことも多いですしね(苦笑)。顕著なのは、『スマイルプリキュア』なんですよね。僕は、なおちゃんの良さがわからないw いや、いい子だとは思うんですけど、それは善性の問題というか、徳の問題であって、僕のキャラクターの琴線に触れない。むしろ、あかねちゃんと被る部分多くない?とすら思う。一方、僕が好きなのは青木れいかちゃんです。彼女、自発性がないから、たぶんペトロニウスさんの中では位置づけがかなり下の方だと思うんですが。まあ、好みなんてロジックで推し量れるようなものでもないですしね(笑)

あ、ちなみに、フェイトは、FDのホロウアタラクシアまで含めていいなら、僕はカレンちゃんが好きです。性癖歪んでんなーって自覚はあります。。。

 

ま、いいんです、違っていて。

むしろ、違うからこそ、いい。だってそうでしょう?

――お互い違うものがあるからこそ、ひとは他者を理解したいと思えるし、その困難性や飢餓感があるからこそ、わかりあえた時の歓びは、嬉しさは、この上ないのですから。すべてはわかりあえないことから始まる。コミュニケーションってそういうものだと思います。